さまざまなテーマで作られる小さな作品の数々は、ほとんどが手びねりで、手ロクロも使わず新聞紙1枚で作ることが多い。幼い頃に見たものの記憶が時を経て熟成され、抽象化された形として作品になった「辞典シリーズ」、神話を演劇的に解釈し作った文章に基づいて生まれた「因幡の白兎」、原本(古典)を2年位かけて読み込み、自分なりの言葉に翻訳したものを一段一段形にした「徒然草」。
また物書きの友人の文章をイメージしたアクセサリーを作ったこともある。その時は銀細工を習い、金具も制作した。
無題は、言葉にならない言葉を言葉とする、そういう試みのひとつ。このシリーズでは、常にどういう光の下、どういう空間で存在できるのかという問いかけをしてきている。それ以外にも、壁面に置く、空中に置く、草の上に置く、神社に置く、という展覧会もしている。やきものの持つ宿命、もののもっている宿命、どこに置かれるかということを最初に考え、作り始める。この無題は常にどの場所に置かれるかということによって作る形が変わっていく。自分でこういう形が作りたいというのではなく、場所をイメージすることで形が出来てくるというのが非常に楽しくて続けている。
この無題は常にどの場所に置かれるかということによって作る形が変わっていく。自分でこういう形が作りたいというのではなく、場所をイメージすることで形が出来てくるというのが非常に楽しくて続けている。ものを作る時、どこに置く、どういう使い方をする、というのを最初に考えるやり方も結構楽しいので、皆さんもテーブルだけでなく いろいろ考えるとより楽しくなると思う。
無題の作り方は、大風呂敷の上で、土の塊から手で1時間以上かけて、厚さ 5~7㎜ 大きさ畳1畳分位に伸ばす。これをやると手がパンパンに腫れてしまうが、麺棒などできちっと伸ばしていくと、粒子が揃うようで揃っていないので、手でやる。指先はつまむ等の機能はあるが、割と感じることができないので、肝心なのは手のひら。手のひらで厚みや凸凹を探り当てて成形していく。
伸ばした土が程良く乾燥したら、それを風呂敷ごと吊りあげ、曲面を作っていく。風呂敷の端を絞り込んでは切り込みを入れ、そのカーブの中で卵のような形を作っていくのを基本にいろいろな形にしている。吊り上げられた作品は、一度完全に口を閉じ、薄い土のボールとなる。そうすると少し乾くと、内圧が高くなり、ほんの少し土が膨らむ。その膨らみを表面に残したまま、固く焼き上げる。これは自然が僕に教えてくれたひとつの効果。自然を上手く利用した作り方だと思う。
この大風呂敷を広げる作り方をしているのは僕だけだと思う。大風呂敷は祖父から引き継がれている家宝のようなもの。昔、家では五条坂で陶磁器の販売をしていて、色々な作品を行李に入れ、それをこの風呂敷で包んで売り歩いていた。その風呂敷を使っているので、まぁ一応 家業を継いだことになるのかなと思っている。