2017年9月5日
陶芸家ご紹介⑧
中里 隆先生(TAKASHI NAKAZATO)
唐津の地で南蛮焼という本格的な焼締を始め、新しい風を融合させた中里隆先生。また国内外で、その土地の素材に合った制作活動をされ、より自在な作風を確立されています。バロック音楽を愛し、大変なグルメ。使いやすく料理を引き立てる器には凛とした潔い美が漂います。その人柄と卓越した技に熱烈なファンも多い先生に、当倶楽部では、1995年の講演の他、お立ち寄りの際に何度か手業をご披露していただいています。
中里先生からアマチュア陶芸家へのエール
やきものというのは、どんなに下手でも楽しい。私は仕事になってからもずっと、そして80歳になった今も、器を作るのが楽しくて仕方がない。皆さんもただ真似るだけではなく、自分の使いたいと思うものを楽しく作ってください。
1937年、唐津焼十二代中里太郎衛門の五男として生まれる。デザイナーになりたかったが、結婚を機にやきものを始めることにして家に戻った。窯の仕事を手伝いながら研鑽を積んでいる中、窯に作陶に来ていた小山冨士夫先生と出会う。小山先生や窯に来ていた外国人との交流に刺激を受け、30歳の時にアメリカ、ヨーロッパ、東南アジア等を1年かけて見てまわる。1971年に小山先生の勧めで種子島へ渡り、種子島焼を始める。その後、唐津市見借に築窯、唐津南蛮等を主として作陶。近年は日本国内各地や、アメリカをはじめとした世界各国でも作陶活動をしている。(以下、色文字は先生に伺ったお話しの抜粋です)
やきものを始めてから、古唐津の陶片に学んだ。その作りにスピードや力強さを感じて、1日に最大700個作ると決め、それを作る為に自分なりに工夫を重ねていった。
30歳の時に 飛行機の1年間の世界周遊券だけ買い、旅をした。まずアメリカに半年間。バスで各地の学校や教室をまわり、指導やワークショップ、作品販売をして旅の資金を貯め、ヨーロッパや東南アジアを見てまわった。市場で生活用具をみて、どこで作っているかを聞いて訪ねた。やきものを作っている所に2~3日通い、じーっと見ていた。生活用具を作る行為、それが美しさにつながると思う。
現在でも海外によく行くが、世界各国のやきものの制作や窯焚きの方法がまったく違うということはない。また先入観をできるだけ持たずに行く。
種子島に行ったのはちょうどやきものブームの頃。各地でやきものが注目されていたが、幕末の頃に島で作られていた能野焼(よきのやき)では、台所で使う水甕や擂鉢等が主で、テーブルウェアは作られていなかった。それまでの仕事は窯物がメインだったので、こりゃ自由にやれると思った。種子島の土は鉄分の多い赤土なのでそれを活かし焼締ものを制作した。携わっていた窯は小さかったので6日間程の焼成。 種子島では大規模な漁が行われておらず意外と魚がない、外食するところもないし、醬油も唐津以上に甘い。魚がとても好きなのでこのことが種子島で印象深い思い出。
唐津に戻ることにした時、当時の唐津では8日間窯を焚いたため、まず隣近所がいないそして将来的にもいなさそうな場所を探した。見借は条件にぴったり、小川もながれていて申し分ない環境。工房を構え、窯を築いた。そこでも焼締を続けた。
道具は、海外で見つけたものもあるが、台所用品を活用して自作することが多い。
アメリカ・ミシガンでバロック音楽に出会った。チェンバロの制作者と吞んだ時、10数万円で買えると聞き、翌日に見に行った。15万円ではなかったけど買うことを決めていた。それがきっかけで、プロを招いての演奏会など、日本でバロックコンサートを開いたりしている。僕自身は、ハープシコードの練習を1ヶ月で挫折。
80歳を機に壺を80点作ろうと思い実行した。今でも器を作るのは楽しい。いつも食卓やお店で器をみて様々考える。どんなものでも一ヶ所キリッとした所があるように心掛けている。茶碗は一年の中で数時間しか作らない。一碗1分だから。
中里隆先生 個展情報
2017年 11月15日(水)~21日(火) 日本橋高島屋
2017年秋、「創立50周年記念 日本陶芸倶楽部アマチュア作品展」で、作品審査に加え、講演会講師として「80歳やきものやの話す四方山話」と題したお話しをしていただきます。