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アマチュア作品展講演 演題 「陶と心」より  講師 宗像利浩


初代会長 松永安左ヱ門氏や初代理事長 谷川徹三氏は、陶芸倶楽部を技術だけでなく、深い奥に潜む何かを求めて、その文化の交流の場所にしたかったのではないかと改めて思う。そういう中で話ができるのはとても光栄。

私の祖先は、福岡の宗像大社の神官をしており、普及のために会津に移り住み、やきものを始めることになった。ご覧いただいた映像の1つは、20年程前のNHKやきもの探訪で、その時の題名が「用の美を創る」だった。私は用の美というのは主に日常的なものを作ると思っていたが、その延長線上に茶碗がある。

20代後半から30代の初め頃、早めに日本陶芸展の賞候補になった。それからが長く、ずっとあと一歩が続き、どうしようもない位追い込まれた時に、自分がある程度望むものができた。人間後がなくなると意外と本来の力というのが発揮できるもの。その時に出来上がった大鉢が賞をとった。作品は一般的には鉄釉組鉢とか釉の名前等で付けるが、思い切って利鉢とした。

一 焼き、二 土、三 細工と言うが、まず技術がなくてはダメ。思ったものを作る技術はないと。ただ、それだけではなく、何かそこに潜んでいる美意識がないとダメ。最後に梅干し入になるか、茶入になるかというのは、茶入とはどういうものか、そこに映えるのはどんなものかとか、そういうことをちゃんと頭の中で描いた人が作ると、それに近いものができる気がする。私も昔技術優先だったが、本阿弥光悦、川喜田半泥子、陶芸家ではない方が作った茶碗が今、名品となっている。そういう意味で、今回ここに来て、皆さんから色々な物をいただいて、次に生かせればいいなと思う。

日本には国宝の茶碗が8点ある。その内の7点は無名の陶工が作った。本阿弥光悦が作った不二山だけが作者がわかる。この光悦は刀剣鑑定家だった。これは当時命懸けの仕事。鉄の質は、その作者の品格によって鍛え上げられ、向上していると言われていた。そういう物の奥深いところ、本質に触れることができないと鑑定することはできなかったと思う。

和食器と洋食器の違いを私なりに解釈すると、和食器は持つことを前提に作られていることが多い。日本人の美意識の中には、五感でものを見るということが入っている。日本にはお茶やお花の文化があり、器に触れる機会があって、その中で育んできたものが今も残っている。器を持つというのは五感でみるということ。

私は今日、皆さんの作品を審査した時に、最初はどうしても技術本位で見てしまった部分が多かった。
国宝の茶碗に曜変天目があるが、あれはものすごく吟味して作ったものではないような気がする。どちらかというと、原料においても温度的にも青磁よりやりやすかったのでは。中国は玉を好む、だから官窯の青磁が最高とされていた。その次は白磁、そしてだんだんと曜変天目となる。でもあれは日本人の美意識の中に選んだものだと思う。井戸茶碗も同じだと思う。名品ができた時代は世の中がすごく発展している時代ではない。厳しい時に、そういう付加価値、創造っていうのができてくる。深い奥に潜んでいる本質的なものを、利休や当時の目利きの人が発見して、いい使い手であって、そういう良さも引き出されて残ったのが名品になったような気がする。

いいものというのは、いい場所やいい使い手に出会わないと良さが引き出されてこない。使うと良くなるとか、使ってみたらいいとか、父の年代の人によく言われた。これも確か。まず使って触れてもらわないことには五感で見えないものがある。ただここがいいんだと感じてくれる人が使ってくれると、その良さが何倍にも引き出されてくる。

技術も大切だが、何かクセがあったり、いいものが潜んでいるというのは窯から出た瞬間には見えないものがある。全体を見るのも大事だが、そういう一見して見えないクセがあったりする。そういうモノを選ぶ目、作者にその力がないといいモノを逃してしまう。

眼聴耳視(眼で聴き耳で視る)=見えないものを見ようとし、聞こえないものを聞こうとする努力、何かの道を深く究めていること。昔、姿勢が悪く猫背だった。神経を良くすると色々なものが入ってくる、そのためには自分で鍛えていかないとダメだと言われた。そこで顎を引き、背筋を伸ばして、親指をしめ、毎日 山(神社)まで歩いていたら、ほぼ3ヶ月で姿勢が治り、そしてイメージも徐々に変わっていった。そうして40歳の頃に日本陶芸展で賞をいただくことができた。有難いことに私は大賞というのはなく、常にあと一歩。この一番と二番の差はものすごく大きい。自分の場合は、勉強しろと先祖が言ってくれていると思っている。そういった意味では、眼聴耳視、そして歩く姿勢が大切。釉にも言える。自分が今やっているのは、鉄釉に禾目を入れるもの。こういうのはやはりなかなか上手くいかない。もう一つの瑠璃釉もそうだが、技術的にすぐできてしまっていたらまた次の方に展開していたと感じる。自分なりにいい方に考えれば不器用なことが良かった。そして目立たないよう目立たないようにちょっとずつ力を付けていくことが大事だと感じている。

皆にわからなくても、その人に想いというものがきちんとないと、伝わらないと感じている。そういった意味で今日は皆さんに私の今の想いを伝えることができ、感謝している。

粗相の美(表面を飾らず内面を充実させるという意味)という言葉がある。私は昔のものに抗っている訳では決してなく、並行しながらやっている感じ。昔のものがあり、それを今に生かそうと思ってやっている。






 
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